・プレイス・


「イブッ、これはどういう事なんだッ!!」
アルが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
手には銀行の明細書らしきものを持っている。
「なんだよアル?珍しく早いな…ああ、なんだ、そのことか」
「そのことか…って…やっぱりイブなんだな、僕の口座に10万ポンドも振り込んだのは…!!」
ずっと走ってきたのだろう、はあはあと肩で息をしながらアルが絞り出すように言う。
その様子をちらりと一瞥しながら、勝手に開けたアルとっときのアールグレイをひと啜りして、イブがやっと口を開いた。
「…家賃だ。とっといてくれ」
さも大した事ではないというように、けろり、とした調子だった。
そしてそのまま、また手元のお菓子を食べ始めてしまった。
…いつものように、ぽろぽろとソファーにこぼしながら。

「家賃って…こんな金額、受け取れないよ!それに…どこからのお金なんだい、これは…」
「なんだよ、うるさいな。初めてアンタと話した時にアンタが言ったことを本当にやっただけだろ。アルに迷惑はかけないようにうまくやってるから大丈夫だっての」
「え…!?」
そういえば、そんな冗談を取調中に言ったかもしれない…イブと初めて会ったあの日に。
あの時は、目の前の小生意気な子供がイブだなんて信じていなかったし、本当に軽いジョークのつもりだった。
イブがこんなことをしてしまったのは自分のせいなのか…!?目の前が真っ暗になる。
呆然としていたアルだったが、ハッと我に返った。
「そういう問題じゃないよ!イブ、僕は…」
「いいから黙って受け取れよ!金ならいくらあっても困らないだろ?」
とても子供とは思えないようなことを言って、イブが迷惑そうに立ち上がる。
今は自分の部屋になっている、アルのゲストルームにさっさと逃げ込むつもりだった。
「逃げようとしたってダメだぞ、イブ!」
珍しくアルに先回りをされてしまった。
「ちッ」
自室の扉の前に立ち塞がるアルを横目に、咄嗟に玄関のドアの方に走る。
「あッ、こらッ、イブ!!」
一瞬の隙を突かれたアルは、その小柄な赤い後ろ姿を見送るしかなかった。


────全くアイツは…ホント石頭だな〜。
考えつつも、ブツブツと相棒のシンにコマンドを送る。
アルの口座に入れた10万ポンドを元の口座に戻したのだ。
────別にコレくらい、大したことじゃないだろ〜に…。
十分に大したことなのだが、普段からそういったことを行っているイブにとっては「その辺にあるものを拾ってきてあげた」程度のことだった。
「頭」では悪いと思うこともあるが、自分のような人間が生き残るためには仕方のないことだ。「心」では悪いと思ったことは一度もない。
それに今回、金を抜いた口座は、詐欺まがいの商売をやっている、ある企業の隠し口座だった。万が一バレたとしても、訴えられる心配はない。

「どうすっかな〜?」
なんとか家賃の変わりになるものを用意しなければ。
人に貸しを作るのも好きじゃないが、借りを作るのはもっと嫌いだ。
あの事件が終わって、勢いでアルをイギリスでの身元引受人として指定してしまったけれど、そのことがアルにとっては迷惑であることを、イブは知っていた。
────正確には、最近になって気付かされた。
それまでも迷惑はかけたような気がするのだが、そう感じなかったのはきっと…アルのおかげだ。
アルがそう感じさせないように振る舞ってくれていたのだ。
イブが負い目や引け目を感じることがないように、居心地が悪くならないように。
自分のことには無頓着だが、他人には無駄なくらい優しい。
それは仲間だろうが、ロンドン市民だろうが、犯罪者だろうが、お構いなしに。
アルはそういう雰囲気を持っている。だからこそアルの周りには人の輪が出来るのだろう。
イブはそんなアルの迷惑になりたくないと、なんとなく思いはじめていた。
…逆に、思い切り迷惑をかけてみたいという子供じみた衝動に駆られる時も、あったりするのだけれど。

考え事をしながらぶらぶらと歩き回る。地下鉄にも乗った。
────イースト・エンドまで来ていた。

ブリック・レーンを少し北上した辺りに、イブお気に入りのパン屋がある。
以前、ある事件を通じて知り合ったスーザンに教えて貰ってから、わざわざ何度か買いに来ていた。
24時間営業しているというその店に入り、なんとなく物色を始める。

────そういえば、アイツにはここのパン、食べさせたこと無いかも…。
ぶらりとあちこちに出かけてしまうとはいえ、一緒にいる時間は一番長いのに、不思議だった。 ケーキは持ち帰るのが面倒なので、イブはいつもより多めにベーグルを買った。
色々な種類を少しずつ。とても一人では食べ切れそうに無い量だ。
いつもなら歩きながら食べてしまうそのパンを、珍しくその場で食べずに袋のまま持つ。
焼きたてのパンの袋は、ほんのりと温かかった。

パン屋を出てからも考えがまとまらなかったイブは、もうしばらくぶらぶらとしてみたが、今日は諦めて考えるのをやめた。
もともと他人のために頭を使うことは得意でない。
誰かを喜ばそうと思ったことも、そうは無い。
そんな事を考えながら歩いていたら、気が付けば深夜に近い時間になってしまっていた。
あんなことがあった後で帰るのも気まずいので、そこら辺で適当なホテルにでも泊まろうかとも考えたが、こんな深夜に子供が一人で予約もしていないホテルに泊まろうとすると、色々と厄介な事が予想されたのでやめた。
────ロンドンのホテルには部屋のキープ、してないからな〜。
比較的良く行く他の国には、スイートの部屋が一年中キープされていたりもするのだが。
ロンドンでは、あの事件の前までは伯父であるジャック・ホームズの部屋に滞在していたし、今はアルの部屋が定宿だ。
実の母親のリンダの家には全くといって良いほど寄りつかなかった。


サウスケンジントン。
閑静な住宅街の一角に、アルのフラットはある。
入り口から全体的に白い調度品でまとめられており、なかなか上品な感じのフラットだ。
見慣れた扉を抜け、見慣れた階段を上り、見慣れた部屋の扉を、以前アルからもらった合鍵で開ける。
「戻ったぜ〜」
そんな言葉が自然に小さく口をついて、思わずイブは苦笑した。
いつから自分は、こんな人間になった?
…アルに出逢う前は「帰るところ」なんて無かった。
日本に行けば祖母である井深ハルの家はあったが、公的なものから裏世界のものまで、様々な組織にその身を狙われる身分では、そう長く滞在することも出来なかった。
世界中をぶらぶらしている時は常にホテル住まいで、当然その部屋には自分を待つ人などいない。

「…お帰り。遅かったね、イブ」
扉を開けると、ちょっと明るすぎるくらいの灯りの中で、眠そうなアルが立っていた。
一応、背広から部屋着に着替えてはいるが、寝るという服装ではない。
寝てしまっているものだと思っていたイブは、流石にちょっと驚いた。
…ずっとここで待っていたのだろうか…うたた寝かなんかをしながら。
「…馬鹿だな…明日だって仕事だろ?…寝てればいいのに…」
イブは、なぜだか沸き上がってきた安堵感を得意のポーカーフェイスで隠すと、いつものように悪態をついた。
「もうちょっとしたらソファで軽く寝るつもりだったんだけど…君が帰ってきた時に、真っ暗なのは寂しいだろうと思って…」
そうアルが言うのを聞いたイブは、今まで何とも思っていなかったこの部屋の灯りが、もの凄く愛おしいもののように思えてきた。

────自分の家、か。
胸が締め付けられるような、今まで味わったことのない、不思議な感覚。
でもなんだか心地良い。

「ふぁ…んんっと…ああイブ、お腹空いてないかい?夕飯は食べた?」
アルが小さく欠伸をしながら尋ねる。
見ると、食卓として使っているテーブルの上には、アルが作ったと思われる夕飯が2人分、手付かずでのっていた。
「アル、もしかして夕飯…食べてないのか?」
「…せっかく2人で住んでるんだし、1人で食べるより、一緒に食べた方が美味しいだろ?」
満面の笑みで答えるアルのお人好しぶりに、イブはむしろ呆れてしまった。
────だからってずっと待ってたのかよ…本当にアルは…。
そんな人間だから、初めて自分から傍に居たいと思ったのかもしれない。
自分のことを、利権や能力に関係なく、ただ一人の人間として見てくれる人…そんな人をずっと探していた。

「そういえばイブ、さっきから気になってたんだけど…その包みは何?」
「あ…これは……アルにやるよ」
最後の方は小さな声で、イブが紙袋を差し出した。
アルが素直にそれを受け取る。
「イブが僕に何かくれるなんて珍しいな…有難う」
「なんだよ…」
実際確かにそうではあるけれど、改めて言われたイブは、子供らしくちょっとムッとしている。
そんな様子にはお構いなしといった調子で、アルががさがさと袋を開いた。
「ベーグルか…いろんな種類があるね」
「その店の、美味いって評判なんだぜ」
ちょっと照れくさそうに、その青い瞳をそらしながらイブが言う。

「…じゃあこれ、差し当たって向こう10年分の家賃として貰っておくよ」
突然にアルから発せられたその言葉に、イブが驚いた。
「そ…そんなモンで良いのか…?本当に…?」
何がなにやら分からない、といった顔だ。
そんなイブを、曇りのない澄み切った青い瞳で捉えると、アルは続けた。
「だから、とりあえずちゃんと帰って来いよ。ここは僕の家でもあり、君の家でもあるんだから、ね?」
あと、出かけるのはなるべくなら僕が守りきれるイギリス国内で頼むよ、と小さく付け足したが、最初から半ば諦めているようにも聞こえた。
そんなアルの様子を見てとり、敢えて意地悪そうにイブは笑った。

「さ〜て、どうすっかな〜?」
とりあえずこの冷めた夕飯を温めて、かなり遅めの食事をしながら考えよう。


────帰るところ…か。
変わらずに迎えてくれる人がいる。
なぜだか余計にもっと、遠くへ行きたくなる。

ロンドンもそろそろ飽きてきたな。
…明日は、どこに行こうか。



初書きデジホ小説です〜ι
何より文章を書くのが久々だったので、(最近書いた「文」といったら、設定やあらすじのようなもの(企画書)ばかりだったので…ι)前後の繋がりとかが凄く変ですι少しは直してみましたがやっぱり変です(死)

「10万ポンド〜」はゲーム版、イブとのタクティカルトークで「冗談」を選ぶと出る会話の一つです。
流石に初回プレイでは選ばなかったのですが、何周かやってると変な選択肢を選びがちになってきます(笑)
(冗談言い続けるとアルがイブに大して「まさか、お…」と言いかけて蹴られるのですが、これってやっぱり
「まさか女の子?」と言いたかったんでしょうか…気になる…ι)

ちなみに、10万イギリスポンド=1920万1834円(2002年9月25日午前0時現在)です。
確かに大金だ…イブから見ればおもちゃ一つ分の価値もありませんが(苦笑)

2002.9.25 up


・タイトルの由来・
place(英)から。
イブの「居場所」的な意味合いを込めて付けました。


Digital Holmesはアークシステムワークスの作品です。
(C)1999〜2001 ARC SYSTEM WORKS CO.,LTD.
(C)1999〜2001 Koichi Noguchi