・Gleam・


深夜を過ぎ、流石に人気の少なくなったフロアには、煌々と無機質な感じのする蛍光灯の明かりが灯っている。
一定のリズムでキーボードを叩く音だけが、妙によく響いた。

ニュー・スコットランド・ヤード。
チャップマン・テイラーのデザインによって1967年に立てられた、総ガラス張り20階建てのビルである。
そのフロアの一つは現在、IT犯罪課とテロ対策課の2つが同居する形で使われていた。

キーボードの上を踊っていた細い指が、止めを刺すように勢い良く「Enter」のキーを弾き、止まる。

「お…終わった…」
昨年末のミレニアム・ハッカー事件からずっと、ろくな休みもなく働き続けていたアルは、夢遊病者のように呟いた。
その声に、意識を失いかけていたトムが、目を覚ます。
「…終わったんですか…先輩?」
絞り出すような声で言った。
「ああ、これで何とか、明日はちゃんと休めそうだよ」
追っていた事件の事後処理が、なんとか一段落したのだった。

明日は久しぶりの休暇。
取れるか取れないか微妙なセンだっただけに、ちゃんと仕事が終わったのは嬉しかった。
先刻までの疲れが嘘のように引いていくのが、アルには分かった。

「さあトム、早いとこ帰ってゆっくり休もう」
「そうですね!あ…でも…」
ちらり、と手元の時計を見たトムの表情が曇る。
「深夜バスも、もう無い時間ですね…」
午前3時を回っていた。

「僕、もう少し時間をつぶして、始発が動いてから帰りますよ」
仕事が終わった安堵感から、アル同様に元気を取り戻したトムが、明るく微笑む。
「え、じゃあ、タクシーでも…」
「いや…僕、この間新しいマシンを買ってしまったんで、余りお金がないんです。タクシーはちょっと…」
なんとなくばつの悪い表情で、トムは口ごもった。
そんなトムの様子に最初から当然のような口調でアルが続ける。
「僕が出すよ。だから、今日はすぐ帰ってゆっくりやすみなよ」
「でも…」
ここから数駅ほどしか離れていない、サウスケンジントンのアルの家ならまだしも、ホワイトチャペルまでとなると…それなりに結構な金額ではないだろうか?
まだ若いトムにとっては、タクシーなどに使うくらいなら、むしろマシンのパワーアップにでも使いたい金額に違いない。

「…やっぱり良いです。先輩はお先に帰ってください」
トムは一旦荷物を置いて、見送る姿勢をとった。
「…そう…?…じゃあ…あのさ、トム」
「なんですか?先輩?」
アルは、なんとなく言い辛そうにしている。
ちょっと間をおいてから、申し訳なさそうに口を開いた。

「もし良ければ…だけど、これから僕のフラットに来ないか?そうしたらそのまま、明日は一緒にのんびりできるし…」
「え!?」
本当なら自分が言いたかった言葉に、トムは驚いた。
久しぶりの休暇をアルと過ごしたいと思ってはいたが、疲れ切っている様子を見て、なかなか切り出せなかったのだ。
「いいんですか?」
「勿論だよ。トムこそ嫌だったら断ってよ。遠慮しなくていいんだからね?」
まだ申し訳ないと思っている顔だった。
そんなアルの表情を打ち消すように、トムが満面の笑顔で答えた。

「僕、すっごい嬉しいです!じゃあ、早く帰りましょう!」
思わずトムは、アルの腕を掴んでいた。


サウスケンジントン。
スコットランド・ヤード最寄り駅のセント・ジェームズ・パークからは、駅にして3つしか離れていない。
複数の路線が通っている、結構便利な駅だ。
近くには美術館や博物館があり、名門デパート・ファロッズもぎりぎり歩いていける位の距離に位置している。

「何もないけど、どうぞ」
「あ、有難うございます…」
階段を上って、アルの部屋に通されたトムは、ちょっと緊張していた。
何度か遊びに来たことはあるものの、泊まるのは初めてだった。
几帳面なアルらしく、いつ来ても部屋はすっきりと片づいている。
入ってすぐの重厚な本棚には、年季のありそうなものから比較的新しいものまで、本が隙間無く詰め込まれていた。

なんとなく部屋を見回していると、トムを部屋に通してすぐに消えていたアルが、温かいお茶の入ったポットと、上品なティーセットをトレイに載せて戻ってきた。
「こんな時間にお茶もなんだけど…他に何もないんだ」
一応、カモミールティーにしてみたけど、と続ける。
二人は、ベットの横のソファで、短いティータイムを楽しんだ。

ふああ…と、小さな欠伸が口をついて出る。
ハーブティーを飲んでリラックスした身体に、睡魔が容赦なく襲いかかってきたようだった。
ふと見ると、トムが自分に軽く身を預ける形で意識を失いかけていた。

「トム…ごめんね、もう寝ようか…ちょっと長話しすぎちゃったかな?」
軽く声をかけると、トムがうっすらと目を開ける。
「…先…輩…?」
言って、また目を閉じてしまった。
仕事中は年齢の割にしっかりした印象のトムだが、こんなところはまだ子供っぽい。
「ほら、トム!こんなところで寝ちゃダメだよ!ちゃんとベットで寝なきゃ…」
弟を戒めるような優しい口調でアルが言うと、やっと身を起こした。
そしてそのまま、すぐ横のアルのベットに倒れ込んでしまった。
「トム、そこは僕のベット…」
言いかけたが、気持ちよさそうな寝息を立て始めたトムを、アルはもう一度起こす気にはなれなかった。

とりあえず、毛布だけはかけておこう。
途中で起きて、ちゃんと布団に潜り込んでくれると良いんだけど。
アルは仕方なく、普段使っていない、ゲストルームのベットで寝ることにした。

「…お休み、トム…いい夢を…」
小さく呟いて、部屋の灯りを消した。


────我ながら、結構大胆なことをしたかもしれない。
トムは、アルが灯りを消して部屋を去った後、ごそごそと起きだして、きちんと布団に入った。
本当はそこまで眠くは無かったのだ。
ゲストルームのベットなどではなくて、どうしてもこのベットで寝たかった。
だから、あんな演技をしてみたのだが。

ごろり、と寝返りを打つ。
────先輩のにおいだ…。
アルが普段から使っているそのベットは、自然にアルのにおいがした。
そのにおいに包まれているだけで、満たされた気持ちになる。
自分の中の、あの黒い部分が、どんどん小さくなっていくのが分かる。

それはトムにとって、喜ぶべきことでもあり、同時に恐怖でもあった。
幸せな時を知ってしまったからこそ、それを失うのがなによりも怖い。

ワトソン先輩…。
もし僕が…あなたの思う僕でなくなったら…あなたは…。
────やっぱり僕を嫌いますか?

他の誰に憎まれても、あの優しい先輩に嫌われるのだけは耐えられない。
────そうなるくらいならいっそ…。

弱い自分は、容易くどす黒い思考に飲み込まれそうになる。
────いやだ!
固く目を閉じた。

その時だった。
ふわり、といきなり布団がかけ直された。
目を閉じていても感じる、暖かい空気。
────そこに、あの人がいる、という確かな感覚。
ちゃんと布団に入ったか気になったアルが、戻ってきたのだろう。
寝返りを打ったせいで乱れた掛け布団を丁寧に直して、二重にかける形になっていた毛布を手際よくたたみ、ベットのへりにかけた。

そうしてもう一度呟いた。
「お休み、いい夢を…」

その言葉は呪文のように、トムの胸に響いた。
眩しい夏の光ではない、春のような暖かい光が射し込んで、影は柔らかく光に融ける。


────トムは、生まれて初めてゆっくりと眠れる気がした。



なんつ〜か、尻切れトンボっぽい話ですね〜ιスミマセン!
少しは「女性向け」っぽい感じがでましたか?ど〜なんでしょう?ι
>いや、無理に出すなという説も…ι

初めて書いた話で、あんな時間にイブをイースト・エンド(オルドゲート・イースト駅)まで行かせてしまったので、果たしてどのくらいの距離なのか気になってしまい、夜中にロンドンの地下鉄マップを取り出し再確認。
お子さん一人では危険な気もしますが、一応行けそうな距離だったので安心しました(笑)
>むしろ、ホワイト・チャペルより近いしね(苦笑)
そんな経緯がこの話に生かされていたり、いなかったり(笑)

あと、ハロッズはゲーム版にならってファロッズとさせて頂きました(笑)
アルん家がサウスケンジントン駅から歩ける距離だとすると、意外と近いのではないかと…??
>徒歩で2〜30分くらい?
う〜ん、妄想たっぷりのロンドン地図鑑賞(笑)
新しいガイドブック(写真多めの奴)でも買うか…。
ホームズものの資料集は結構持ってるのですけど、現代のが余りないのです…。

2002.9.26 up

・タイトルの由来・
gleam(英)…微光、きらめき、かすかな兆(きざし)、ひらめき、ぼんやりとした光。
一口に「光」といっても、結構種類があるものですよね。
その中から、トムのアル(光)に対するイメージとして、柔らかな光、(自分の)暗闇の中での小さな光、と、
「微かな兆し」を引っかけてこのタイトルにしました。


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