・Anion・


イブが、またふらりとどこかへ出かけてしまった。
果たして、今はどこの空の下にいるのか…まだメールの着信はない。
気まぐれで送られてくるイブからのメールが、今回も送られてくるとは限らないのだけれど。

「…この分だとまた出張か…近くだと良いなぁ…」
ため息混じりに、力無くアルは呟いた。


スコットランド・ヤードのそのフロアでは、テロ対策課とIT犯罪課の職員達が、今日も変わらず忙しそうに動き回っていた。
イブと出逢わなければ、おそらくきっと、この中に埋もれたままであったろう自分。
今、アルの世界は、イブ中心に回っていると言っても過言ではなかった。
仕事も、私生活においても────だ。
イブの居場所が分かり次第、しばらくお別れになると思われるその景色を、アルはぼんやりと見つめていた。

「よッ!何を朝からぼんやりしてるんだ、アル!」
背後から、必要以上に大きい声がかけられる。

「ウルフ…」
「何だよ、相変わらず辛気くさいな。…何かあったのか?」
口は悪いが、一応心配してくれているらしいパブリックスクールからの腐れ縁の主に、アルは精一杯の笑顔を作った。
重たい口調で話し始める。
「実は…またイブが居なくなっちゃってね…」
「なんだ、そんな事かよ!」
言い終わらない内に、ウルフが遮った。
「そんな事って…だって、そうなると僕はまた出張しなきゃいけないんだよ…?」
アルが軽い怒りを含んだ声で言うと、ウルフのお気楽な返事が返ってきた。
「い〜じゃねえか!タダで色んな国に行けてよ!」

本気で言ってるのか…?アルは目を丸くした。
…多分、本気なんだろうなあ…。
軽い目眩さえ覚える。
そして、自分とはかなり感覚の違うこの友人を、複雑な心境で見つめた。
最初からウルフがイブの担当だったら…いや、そんな恐ろしいことを考えるのはよそう。
心の中で、ぶんぶんと大きく頭を振った。

「……そんな気分になれないよ…イブはいつも変な事件に首を突っ込みたがるし…はぁ…胃が痛いよ…」
げっそりとした表情で言うアルを、ウルフは見ない振りをして続ける。
「しっかし…イブ公も、なかなかなつかないな…まあ、あれでも十分なついてる内に入るのかもしらんけど…」

「…レストレード部長が言うには、”イブは僕になついてる”らしいけどね…」
僕は信じられないよ、とアルは乾いた笑いを浮かべながら吐き捨てるように言って、手元の書類を整理し始めた。
下手したら長期の出張になる可能性があるので、急ぎのものは早い内に片付けなければならない。
ひとまず会話を切り上げて、アルは仕事に専念することにした。


夕方近くなって、背広の内ポケットに入れた携帯電話が軽く振動し、イブからのメールが着信したことを告げる。
それはちょうど、急ぎの書類をなんとか片付け、引き継ぎの必要なものの準備も全て終えた頃だった。
その、かなりのタイミングの良さに、アルは思わず苦笑した。

────なんというか…分かってるなぁ…イブは。
それならいっそ、こんな迷惑をかけないで貰いたいものなのだが、それが無理であることは、アルには十分すぎるほど分かっていた。
取り急ぎ、メールに記されていたイブの居場所を、副総監室のレストレードに報告する。
そして案の定、その場でイブを追っての出張を命じられてしまったのだった。

しかも、今回は最初からウルフが同行するらしい。
厄介払いとも取られかねないその決定に、アルは胃だけでなく頭も痛くなった。


帰り道、何故かアルはウルフと一緒に家路についていた。
一刻も早くイブを保護するため、明日は早朝出発の飛行機に乗らねばならない。
準備のために仕事を切り上げて帰宅しようとしていたアルを、ウルフが呼び止めたのだった。
「よお、アル。明日遅刻されたくなかったら、お前ん家に泊めてくれ」
…アルにはその身勝手な要求を断る術はなかった。

「相変わらず、小ぎれいな部屋だな〜」
久しぶりにアルの部屋に入ったウルフが、感嘆ともなんともつかない声を上げる。
────俺の部屋とは偉い違いだ。
ウルフは、雑然とした自分の部屋を思い出していた。
「そういえば、イブ公はいつもどこで寝てるんだ?」
部屋を見回しながら、何となく思っていた疑問を口にする。
「元・ゲストルームだよ」
脱いだジャケットを丁寧にハンガーに掛けながら、アルは、苦笑混じりに答えた。
そういえばアルの家には、ちょっとした来客用のゲストルームが完備されていたような気がする。
もっとも、アルの仕事が忙しく、家に人を招くようなこともそうそう出来ない状態だったため、その部屋が使われることはほとんどなかったと言っていい。
ゲストルームへと続くその扉をみとめて、なんとなく近付くと、ふいにアルから声がかかった。
「ウルフ、今はイブの部屋だから勝手に開けちゃダメだよ…それに…」
「それに、何だよ?」
制止の言葉に立ち止まったウルフが、アルの次の言葉を待つ。
「イブのことだから、何か仕掛けられてるかもしれないよ?」

「…確かに」
重みのある台詞だった。
誠実な性格のアルのことは一応信用しているとは思うが、自分自身が常に世界中の色々な組織から狙われている身であることは、よく分かっているはずだ。
そんなイブが、留守中の自分の部屋になにかしらのセキュリティを張っていても、おかしなことではない。

「とにかく、そこら辺に座っててくれよ」
アルは、いつもならイブが陣取っている辺りでもあるそのソファを、ウルフに勧める。
いつも汚すイブがいないので、パン屑や菓子屑が落ちている心配はない。
先程の話でちょっと動揺していたウルフは、おとなしくそれに従うことにした。


しばらくして戻ってきたアルは、暖かな湯気の上がるティーポットと、良い趣味のティーセット一式を持っていた。
ウルフは勧められるままに、その豊かな香りの紅茶を楽しんだ。
控えめに添えられていたお菓子も、非常に良いものだった。
普段なら、こんなものは良いから酒とつまみを出せ、と言ってしまうかもしれないウルフだったが、この場には紅茶の方が相応しいと、何故か納得させられてしまっていた。

ゆるゆると穏やかな空気が流れる、静かなアルの部屋。
盛り場の喧騒を何よりも好む自分には、全く逆の空間のはずだった。
ウルフは何故か、そこになんともいえない「安堵感」を感じていた。
アルの持つ独特の雰囲気が、この場を一層心地良いものにしていると、ウルフはぼんやりと思った。

「…イブ公が居着くのも分かる気がするな…」
ウルフが小さくぽつりと呟く。
「何?」
よく聞き取れなかったらしいアルが、きょとんとしている。
「…知ってるか?猫っていうのは、一番居心地がいい場所を、ちゃっかりと陣取ってるものなんだぜ」
ウルフは、気まぐれで生意気な…まるで猫のような性格をした人物を思いながら話した。
「??」
話の前後がつながらない。
突然のその一言に、アルはますます困惑した。
「つまり…その猫をどけると、そこが一番居心地がいい場所、ってことだよ」

「???ウルフ、僕、意味がよく…」
ときおり妙に鋭かったりもするが、基本的にこの人間が鈍いことは、長年付き合っている自分の方が、分かり過ぎるほど分かっていた。
────そしてその「居心地のいい場所」の競争率がかなり高いことも、重々承知している。

「…別に、お前は分からなくて良いことさ、アル」
「…何だよ、それ!」
パブリックスクール時代となんら変わらない、むくれた表情をアルが見せる。
────なんだか、昔に戻ったみたいだ…。
楽しかったその時代を思い出し、久しぶりにゆっくりと、二人の会話を楽しんだ。


翌朝。
空港に到着したアル達を出迎えたのは…他ならぬイブだった。
遠くからでもハッキリと分かるその見慣れた風貌に、思わずアルは目を疑った。

「イ…イブ?…どうしたの…今回はずいぶんと早いね…?」
探さねばならないと思っていた人物の出迎えに、動揺を隠せない。
「なんだよ、アル。俺が帰ってきたらまずいのか?」
なんとなくむくれた様子のイブをみとめて、ウルフは悟った。

────そういえば、猫は嫉妬心も強い動物だったな…。
自分を見るイブの視線に険しさが潜んでいるのにも気付いていた。

「アル、イブ公も見つかったことだし、ここで解散といこうぜ」
自分に被害が及ぶ前に、ウルフは早々に退散することにした。
「え…!?ウルフ…ちょっと待てよ!」
またどこかに行かれてはまずい、と、イブのご機嫌取りに一生懸命になっていたアルの隙をついて、さっさと姿をくらました。

────今日はこのまま、サボってパブにでも入り浸るか…。
アルの制止の声も、もう聞こえなかった。



タイトルは何となく思い付きで(笑)
仕事用の文章を打っている傍らで打っていたら、なんとなく出来上がってしまいました(苦笑)
あ、もちろん場所は自宅ですのでご心配なく(笑)

…とうとうウルフ→アル?まで…いえ、あくまで友情がベースですよ?(?)
ウルフEDでは、ウルフがなんだかんだ言いながら、アルのことをちゃんと考えてくれていることもよく分かりましたし!!
…そんな訳で(?)

それにしても、アルの部屋には何か仕掛けられてるんでしょうか…?(苦笑)
まあ、袖口とかにいつの間にかうさぎ虫を仕込んでしまうようなヒトだけに、ありそうな気もしますが…(謎)
…腐っててスミマセン(死)

2002.10.3 up

・タイトルの由来・
anion(英)…陰イオン(=negative ion)
今流行りのマイナスイオンとは和製英語の上、「anion」とは定義上全く違うものですが、
(というかそもそも、マイナスイオンに定義が存在してないので…ι)
そのまま「minus ion」と付けてもバレバレで面白くないかな?と、ちょっとひねって付けました(苦笑)

ちなみにこの文中で「マイナスイオン」に該当するものがなんなのか(誰なのか)は…ご想像にお任せいたします(笑)


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